美食の街リヨンから知夫里島へ。 隠岐とフランスの文化を繋ぐ、マルチリンガル・ガイド!
「人よりタヌキのほうが多いって本当?」
「名前が『ジブリ』に似てるだけあって、何となく懐かしくてファンタジーっぽい」
…等々、つい話題にしたくなるのが知夫里(ちぶり)島だ。
知夫里島にある知夫村は、島根県で唯一の「村」。村民は600人足らず。人口を遙かに上回るタヌキがのびのびと暮らし、牧歌的なムードが漂う反面、赤い溶岩の崖「赤壁」など圧倒的迫力の火山地形を擁する。
隠岐4島の中でも一番小さな、でもワクワクする魅力が詰まったこの島で、4カ国語を操るフランス出身ガイドが活躍している。フランス語、ポルトガル語、英語、日本語もOKの、ゴメス・ダヴィッドさんだ。
「島前のように海水が入ったカルデラは世界に2カ所しかないんですよ〜。ちなみにこのカルデ〜ラとはポルトガル語で、『鍋』という意味です」
抑揚あふれる流暢な日本語で、時折ユーモアを交えながら軽快にガイドし、その場をハッピーな空気で満たしてくれるダヴィッドさん。陽気なスマイルは、のんびりやさしいイメージの知夫里島にぴったりだ。
ダヴィッドさんは、知夫里島に夫婦で移住して7年になる。当初はホテルの料理人として働いていたが、3年前からは知夫里島観光協会のサポートスタッフとして、ガイド等の仕事をしている。
取材の日は、来居(くりい)港から車で約20分の赤ハゲ山に連れて行ってくれた。知夫里島の最高峰である赤ハゲ山から眺めると、島前カルデラを一望できるのだ。
青と緑の世界、ぽっかりと島前湾。北に向かって立つと、左側は西ノ島(西ノ島町)、右側は中ノ島(海士町)。それらの向こうに見えるのは島後(隠岐の島町)だ。
「これが島前カルデラです。カルデラ自体は珍しくないけど、ここは特別です。海底火山の噴火が起きて地面が陥没した後、浸食によって凹地に海水が入ってくる。その後も外輪山がちゃんと海の上に残っていて、“鍋”(=ポルトガル語で『カルデラ』)のフチのようになっている。盆地や湖ではなく、カルデラの海なのです。これらの条件を満たすカルデラは、世界中に、日本の隠岐島前とギリシャのサントリーニ島だけなんですよ」
島前カルデラを満喫した後は、なだらかな丘を歩く。赤ハゲ山という地名は、土壌が赤く木が無いことに由来するそうだ。ここでは1960年代半ばまで、牧畑(まきはた)と呼ばれる輪転式農法が行われており、山頂付近に今も残る石垣は牧畑時代の境界線の名残で、名垣(みょうがき)と呼ばれている。
牛たちが放牧されている草原を眺めていると、視界をふいにタヌキが横切る。食事中の牛から数m離れたところでタヌキも草を食んでいる。知夫ではあたりまえの光景だ。
「たくさんの牛が放牧されているけど、誰も水をあげていません。なぜなら湧き水があるからです。私は、この湧き水が島の一番の宝物だと思う。湧き水がなかったら人間は暮らせないし放牧もできない。二つ目の宝物は牛です。もし牛がいなかったら牧畑もできなかったから。豊富な湧き水と、牛が、この島の歴史をつくったと思います」
展望台から徒歩で下り始めてすぐに、小さな祠がある。島では「大山さん」と呼ばれている。
「祠が向いている方向に鳥取県の大山がある。天気が良ければ、ここに立つと正面に大山が見えます。昔は大山で日本最大の牛馬市があり、知夫からも出荷していたので、自分たちの牛馬の守護神としてこの神社をつくったそうです。やっぱり牛は特別な存在なんですよね」
ところでタヌキの数の多さは、「1941年にペットとして村長に贈られた2頭が逃げて繁殖し、今では2000頭いるという説もあります」とのこと。さらに、夜行性のはずのタヌキが知夫里島では昼間にも当たり前のように出没している理由は、「島にはタヌキの天敵がいないから、日中でも安心して堂々と出てくるようになった」のだとか。なんとも知夫らしい平和なストーリーだ。
なお、この島のタヌキの歴史については郷土史料「知夫村誌」を読んで勉強したそう。動物好き、そして調べるなら徹底的に調べたい性格のダヴィッドさんは、タヌキの習性や生態についても詳しい。タヌキに限らず、日々勉強とフィールド観察、そして地元民へのヒアリングで、ガイドとしての知識の引き出しをどんどん増やしている。
「動物と人が仲良く暮らせる島、という環境を守っていけるといいなと思う。観光客の皆さんに伝えたい知夫の良さは、やっぱり第一に自然です。そして素朴で温かい人たちと、昔ながらの文化。昔の日本のような感じで、でも最近は新しいレストランも増えていて、面白いですよ」
出身はフランス南東部のリヨン。美食の街として世界的に有名な都市だ。フランスでは日本文化が人気で、アニメや漫画をきっかけに日本に興味をもつ若者が多いそうだが、ダヴィッドさんは違った。
「私は武士道に憧れて日本を好きになりました。家の近くに剣道クラブがあって、習い始めたのがきっかけです。先生が剣術だけでなく日本の文化全般に詳しい方だったので、話を聞くうちにどんどん熱中して…。Akira Kurosawa(黒澤明)監督の映画もよく観ました。『羅生門』が好きです。日本の魅力はいろいろあるけど、私は今も、武士道などの精神文化や歴史への興味が強いです」
大学では日本語と日本文化とを両方学んだ。学生時代、初来日で日本各地を1ヶ月も旅行し、ますます日本に魅了されたダヴィッドさんは、島根大学へ1年間の交換留学。その後、帰国して大学を卒業した後に、リヨンの料理学校で勉強し、ミシュラン一つ星レストラン「Têtedoie(テットドア)」で経験を積んだのち、2015年、満を持して再来日した。
そして日本で結婚。留学中に松江市内のバイト先で知り合った女性が運命のお相手だったというのも、さすがは島根県、“ご縁の國”の看板に偽りなしだ。
最初は広島市内のホテルで2年半働いたが、奥さんの祖母が知夫村出身だというこれまた不思議なご縁に導かれて、夫婦で知夫里島へと移住することに決めた。
「ちょうど島のホテルでフランス語を話せる人材を探していたので、広島のホテルのレストランを辞めて、2016年に隠岐へ来ました。妻のおばあさんのご縁のおかげで、家を貸してもらえたり、助けてもらえることがたくさんあって感謝しています」
最初はホテル勤務だったが、子どもが生まれたことなど様々な事情が重なって転職。今は集落支援員という立場で観光協会をサポートし、主にガイドとして働く。隠岐には欧米からの観光客が多く、フランス人は英語があまり得意でない人もいるため、フランス語を話せることが重宝されている。
日本に住んで8年目。隠岐の方言は難しいものの、日本語での会話に困ることはほぼない。と、さらりと話すダヴィッドさんだが、努力を重ねたに違いない。とにかく勉強家なのだ。
「料理人のときは料理に必死。ガイドになってからは、隠岐のことや知夫のことをひたすら勉強してます。基礎を大切にすること。徹底してやること。目の前のことや人に丁寧に向き合うこと。これらはすべて、幼い頃から憧れている、武士道の考え方から学びました」
そんなダヴィドさんが温めている構想がある。フランスと隠岐の文化を学べるカルチャースクールの運営だ。日本人にはフランス語やフランス文化を教え、外国人には知夫のこと、隠岐のこと、日本のこともより深く知ってもらう。そんな学校をやっていきたいと言う。
「本格的にはこれからですが、実は今年4月から既に開設しています。教えるのは、料理やデザート、パンの焼き方、言葉やマナー。時には剣道も。今はガイド業務が忙しくてスクールに十分な時間を取れていませんが、今後バランスよくやっていきたい。この島へ来る前に、日本文化や日本語を勉強していてよかったです。シェフは主に料理だけだけど、ガイドやカルチャースクールでは、今まで学んできたことや経験を丸ごと活かせている。もともと自然や動物が大好きなので、今の仕事はとても楽しい。人生でやってきたことすべてに意味があったと感じられて、嬉しいです」
近年、知夫里島では、注目の店が次々オープンしている。Uターンした男性が畜産業を営む傍らで開いたお洒落なカフェや、移住者が開業した海老ダシのラーメン店、焼き菓子店など。中でも2022年にできた、島の食材を使ったフレンチを提供する「Chez SAWA(シェ・サワ)」は、ダヴィッドさんも太鼓判を押す本格的な味だ。Chez SAWAのシェフは日本人の移住者だが、「なんと、彼がフランスで修業してた時は私と同じ『Têtedoie(テットドア)』で働いていたそうなんですよ!すごい偶然〜」…と、やっぱり不思議なご縁の繫がりに驚かされる。
そんな今の知夫里島を堪能する、とっておきの観光プランを提案してもらった。
「例えば1泊2日なら、フェリーでお昼に来居港に着いて、ランチは小料理屋『どんどん』で海の幸。漬け丼がボリュームあって美味しいよ!その後にE-bike(電動アシスト自転車)で赤壁と赤ハゲ山へサイクリング。ディナーは「Chez SAWA」で、宿泊はホテル知夫の里。翌日はe-bikeか、夏ならシーカヤックで海遊び。遊覧船『べんてん丸』で約50分で島を一周するクルージングもいいですね。遊覧船は、赤壁の全体を下から見られるので、展望台から見下ろす風景とは全然違ってビックリしますよ。赤と黒の層がハッキリして、大地の成り立ちが分かりやすい。ガイド付きのツアーがおすすめです。海が時化てなければ年中OK!」
(↑)赤壁の模型を見ながら地形の成り立ちを教えてくれるダヴィッドさん
(↑)上空から見下ろす赤壁(ドローンで撮影)
知夫里島観光協会では2023年の春からシーカヤックを導入した。また、E-bikeで絶景スポットや寺社をめぐるサイクリングツアーもこれから増やしていく予定だ。
これまで知夫の観光は、赤壁と赤ハゲ山だけ観たら十分だと言われることもあった。確かにこの2つは圧倒的にパワフルで、知夫観光では欠かせない。だが、それだけが知夫里島ではない。この従来型の観光パターンを変えていきたい、とダヴィッドさんは力説する。
「せっかく隠岐まで来ていただいているのだから、知夫でもじっくり時間をかけてほしい。そのためには、数日を過ごす価値があるコンテンツを作らないといけないですね。そこで、私のカルチャースクールが役に立つと思っています。日本人観光客も、外国人観光客も、わざわざこの島に滞在する目的をつくりたい。島の素晴らしい環境の中で、日本とフランスの文化に親しんでもらう体験をしてもらえたらいいな」
ガイドとしての自己研鑽にも意欲は尽きない。シーカヤックなど新しいコンテンツが増えるたびに、技術の習得や安全管理の徹底などさまざまな勉強が必要になるが、何事にも真剣に取り組んでいる。
「隠岐の花など、植物のことをもっと覚えたいし、マリンアクティビティのバリエーションも増やしたい。お客様の満足度を上げるためにやりたいことはいっぱいあります。隠岐には、東京や京都やメジャーな観光地のように大勢の人が来るわけではない。でも、だからこそ一人ひとり丁寧に、心を込めて対応していきたいです」
武士道を始めとする日本文化への憧れと、島への愛から生まれるダヴィッドさん流のおもてなし。この出会いを味わいに、ぜひ知夫里島へ!
取材・記事/小坂 真里栄(ライター)
My Favorite / 赤ハゲ山の麓、島前カルデラを望む丘
赤ハゲ山の展望台まで登る手前の、テキサスゲートを過ぎたあたり。ちょうど牧場の入り口です。ここから眺める島前カルデラの景色が一番好きです。
島前は、よくあるカルデラ湖ではなくカルデラの海。外輪山が削られて海水が入り込み、凹んだ部分が内海になった珍しい地形です。この場所から眺めると、火山が噴火した後のカルデラに海水が入り込んでくる前の姿がイメージしやすいと思う。観光客の方にも、島前3島の大地の成り立ちを説明しやすいですね。
陸のお気に入りはここだけど、海なら、島津島(しまづしま)の南側にある洞窟がイチオシです。陸からは無理なのでカヤックやSUPで行きます。天井が低くて頭スレスレ。他にはないユニークな景観が見られます。カヤック上級者ならご案内できますよ!
ー★追記-----
隠岐のガイドは、各自がユニークな専門性を持つプロフェッショナル。
彼らとめぐるツアーは、隠岐諸島が紡いできた数万年の時間を感じられるものです。
<大地の成り立ち>、<独自の生態系>、<人々の営み>をベースにした案内で、島に暮らす人だからこそ伝えられるストーリーが最大の魅力
隠岐のガイドは、はるばるやってくる旅人の皆さんに、島の情念を深めてもらう伝え手です。
圧倒的な地球のダイナミズムも、小さく受け継がれる人々の営みも、見るだけでは分からないことばかり。
ガイドツアーに参加することで目の前の景色が彩られ、島の解像度は上がります。
時間をかけて来る場所だから、心がよろこぶ豊かな旅を
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