隠岐の魅力を“発掘”中。オンリーワンの岩石系ガイド
隠岐は太古の火山だ。それゆえに、度肝を抜かれる大きさでそそり立つ崖や、奇妙な形の岩石といったユニークな地形が当たり前にあり、見るだけでも心躍る。
だが、“大地の遺産”は絶景ばかりではない。道端の石ころや小さな化石だって、そこにあることが奇跡だったりする。なぜ、それが今ここにあるのか?理由を知るとイメージができる。
例えば、600万年前に煮えたぎるマグマを噴きあげていた島の姿。2000万年前に闊歩していた大きなワニの姿。それらを思い描き、現代までの長いストーリーを少しでも実感することができたなら…。より深く隠岐を味わえるに違いない。
そのヒントをくれるのが、吉岡貴之さんだ。隠岐にまつわること全般に詳しいが、得意分野は地質。実は、自他共に認める“岩石マニア”である。
マグマのように熱くほとばしる岩石愛でジオパークを語れる、稀有なガイドなのだ。
吉岡さんは、隠岐の島町の「風待ち海道倶楽部」に所属する。この名称には、風をおこして追い風に乗り、隠岐から世界へ情報を発信しようという想いが込められているそうだ。
倶楽部では島めぐりや山歩きも実施しているが、気軽に参加しやすい「ぶらり散歩」はオススメのツアー。西郷港周辺での町歩きで、主に吉岡さんが担当している。
町歩きと言っても、“岩石マニア”の吉岡さんが、ただの散策で終わらせるはずがない。岩山や海岸に行かなくても、港周辺をぶらぶらするだけで、どんな世界を見せてくれるのか。
期待しつつ、ぶらり散歩を体験してみた。スタート地点は西郷港だ。
隠岐ジオパーク認定ガイド公式の鮮やかなイエローのポロシャツを着て、にこやかに登場した吉岡さん。穏やかな口調で、隠岐4島の地図を見せながら西郷港の位置を確認し、その来歴を話し始めた。
「西郷港は東西に深い入り江がある港で、17世紀後半に日本海側の海運が発展したとき、北前船の風待ち港として大いに繁栄しました。北前船が来るようになって波止場周辺が賑わい、町はここから見て西側だから、西の郷、すなわち西郷という名が付いたんですよ」
隠岐汽船のターミナルから外へ出て、歩くこと数分。川沿いの、砂利が敷き詰められた場所で、吉岡さんが立ち止まった。ニコニコしながら問題を出す。
「ここの景色の中に、隠岐で一番古い岩石があります。さてどれでしょう?」
見当もつかない。川の中ではなさそうだ。しゃがんで、足元の砂利をじっと見る。
「これと同じものが岐阜県の飛騨地方でも見つかっていて、そちらは飛騨片麻岩と言われています。ほらほら、いっぱいありますよ!綺麗なやつがいっぱい。ゴロゴロしとる〜」
…やっぱりわからない。吉岡さんは笑いながら、ある石をひょいと拾って教えてくれた。
「これです。これが、隠岐片麻岩。なんと2億5,000万年前に地中深くで生まれた石です!もともと砂岩と泥岩で、その堆積岩が地下で高い熱と高い圧の影響を受けて変化した、変成岩の一種です。綺麗な縞模様ですね〜」
「島根大学の先生の研究で、隠岐片麻岩は韓国と中国の一部で形成されたものだと分かりました。つまり、かつて日本列島はユーラシア大陸の一部だったと証明した岩石なんです。学術的にはものすごい価値があるんです!…でも隠岐では、砂利として使ってますけどね」
日本列島は太古の昔、大陸とひとつらなりだった。その端が割れて分離し、間にできたのが日本海。そんな地球スケールの壮大な物語を、隠岐片麻岩は語っているのだ。
黙って転がっている石ころに刻まれた、貴重なメッセージを伝えてくれる。それが吉岡さんの真骨頂だ。ジオパーク認定ガイドとしては約9年のキャリアがあり、今でこそ、ガイドの仲間内でも「石と言えばこの人」で通っているが、大学等で専門的に学んだわけではない。石への愛に目覚めたのは偶然だった。
吉岡さんは隠岐の島町出身で、実家は西郷の家具屋。高校卒業後は名古屋のコンピュータ専門学校で学んだ。その後、横浜で働いていた30歳の頃、たまたま帰省したときに、ジオパークの世界認定を目指して町が活発に活動しているのを見て面白そうと思った。それがきっかけで、Uターンすることを決めた。
「縁あって、かっぱ遊覧船(=八尾川を周遊する観光船)のガイドになりました。そこでたまたま出会ったのが、“師匠”。その人に地質学を教わり始めて、僕の運命は変わりました」
師匠とは、隠岐ジオパーク推進協議会(当時)の研究員だった平田正礼さん。大学院で古生物学を研究していた専門家で、地質や鉱物に関して圧倒的な知識をもっていた。
「それまでは地質なんて興味なかったけど、基礎を教えてもらったことで急に好きになりました。何気なく拾った石をひたすら調べていくと、なんと地球全体のことが分かる。そのことが面白くなっちゃって。基礎のあとはひたすら独学してマニアックな知識を増やし、自分ならではのガイドが出来るようになっていきました」
探究心に火がついたら止まらない性分だ。休みの日にも、島内各所へ石や地層の調査に行った。分からないことがあればインターネットや図書館で調べ、それでも分からなければ、たまに本土から来る地質学の先生を質問攻めにする。
「例えば歴史や文化など、地質とは関係ないようなことでも、ひたすら調べていくとたどり着くのが岩石なんですね。その繫がりが見えてきたときに、おぉこれは凄い!って感激しました。石が秘めているメッセージはとてつもなく大きい。隠岐片麻岩はいい例です。小さな島で普通に転がっている、たかだか直径1、2㎝の石ですよ。この石から地球規模の動きが分かるなんて、ロマンです。石はロマンなんです!」
寿坂という坂道に来ると、吉岡さんが足元を指さした。
「黒曜石です。黒曜石は、火山によって生み出された天然ガラス。日本の主な産地は6カ所あり、隠岐の黒曜石は特に良質だったので石器の材料として重宝されて、3万年前から中国地方のほか新潟や四国にまで運ばれていました。この石から、当時の人の交流が見えてきます」
黒曜石は、マグマが冷えて固まった火山岩の一種。つまり、もとは地下に眠るマグマだ。
割ると鋭いエッジが現れ切れ味が抜群となる性質を活かして、後期旧石器時代から縄文時代にかけて石器として使われていた。ツヤのある漆黒が美しく、その吸い込まれそうな深い色は、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』では「夜のようにまっ黒」と表現されている。
「石器としての黒曜石は、ロシアでも産出されていることから、ロシア人は大人から子どもまで黒曜石に関心が高い。以前ロシアの子どもたちが来たとき、やたらとObsidian(オブシディアン=黒曜石)と言うのでなぜかと聞いたら、小学校の歴史の授業で隠岐の黒曜石のことを教わるそうです。だからひとかけら渡すだけで大騒ぎですよ!隠岐には当たり前にありすぎて、地元民はその凄さに気付いていないけど、海外の人から見たら、お宝なんです」
ところでこの黒曜石、最近は子ども達に人気が高いそうだ。理由はMinecraft(マインクラフト)というゲーム。その中で黒曜石は、主に地下深くのマグマ地帯で見つけることができる一番硬いブロックとして登場する。ゲームを楽しむためには必須アイテムなのだそう。
「僕がガイドした子が、隠岐で黒曜石を拾ったー!って学校で自慢したら、ほとんどの子がMinecraftをやっていて、本物を初めて見たー!ってみんな大興奮だったという話も聞きました。石の話は専門的で難しいと思われがちだけど、子どもたちは純粋にときめいている。最初はゲームの中のアイテムに過ぎなかった石が、隠岐へ来て、見て、触って、あれこれ知るうちにどんどん興味をもって、自分でも調べだして、どっぷりハマった子も多いですよ。その中に、将来すごい地質学者になる子がいるかもしれませんね」
ぶらり散歩は続く。某ホテルの玄関前で吉岡さんが指さしたのは、やや緑かった石だ。
「グリーンタフです。約1,800万年前の石。日本海ができる前、ここは湖だったと証明することができる石です」
グリーンタフとは緑色凝灰岩のこと。火山灰が堆積してできた岩石を凝灰岩といい、その中でも熱変成作用で緑色に変色したものがグリーンタフだ。
「隠岐で見つかったグリーンタフの中から、7m級のワニの化石が発見されています。ワニって淡水生物でしょ。ということは、その頃まだ隠岐は、海ではなく湖の底にあったということです。石を調べることで、当時の生態系が分かるってすごいでしょ。黒曜石と同様、何気なく日常にある石だけど、実は学術的価値は計り知れないんです」
港が近づき、町歩きも終盤が近づいてきた。道の名前の由来や、かつてのクジラ漁の話など、巧みな昔語りが続く。聞いていると、埋め立てが進む以前の西郷湾と港町の姿がありありと思い浮かぶようだ。
出雲大社西郷分院では、吉岡さんは古い石灯籠を指さした。
「明治20年のものです。これと同じ灯籠が島に3つあって、北前船が西郷港に入港する時の灯台の役目を果たしていました。この灯籠が一番下(海岸線)の灯台で、かつてはクジラの脂で灯をつけて、流人の灯台守さんが夜通し海を見ていた。当時、船は一日で多くて100隻も入ってきたそうです。材質は来待石(きまちいし)。凝灰質砂岩といって、砂と火山灰が混ざってできた石ですね」
ぶらり散歩に参加する観光客も、西郷港周辺に、こんなにたくさんの地質のエピソードがあると知って驚く人が多いそうだ。
「知らなかったら通り過ぎる。でも知っていけば、町の見え方はどんどん変わります。西郷を歩くだけでも、ジオパークならではの魅了はいっぱいあるんですよ!」
そう胸を張る吉岡さんは誇らしげだ。岩石愛だけでなく、ふるさと西郷に対する深い地元愛も伝わってくる。
吉岡さんにとって隠岐は、ロマンが詰まった宝の島だ。いまだ好奇心と探究心は尽きない。
これからの目標は、石の探究を続けること。分からないことがまだたくさんあり、調査や研究の余地が残されているのも隠岐の魅力なのだ。そしてもうひとつの目標は、石の素晴らしさを子どもたちに伝えて、石仲間を増やしていくこと。
「全国の子どもたちに石の素晴らしさを伝えたい。そうすれば自分の住んでいる地域の石にも興味をもって、ひいては地域の魅力にも気付ける。地球そのものが宝の山なんだから、自然環境を大切にしようという気持ちにもつながると思う」
海外からの観光客は今後ますます増えるだろう。風待ち海道倶楽部の名に込められた想いの通り、隠岐から全世界の人たちへ石の魅力を発信していきたい、という想いもある。
「いつか隠岐が、石好きの聖地になったら面白いですね」
吉岡さんはそう言って笑った。
取材・記事/小坂 真里栄(ライター)
My Favorite/浄土ヶ浦
島の北東部にある、浄土ヶ浦という海岸が好きです。ここには変成岩、火山岩、堆積岩など10種類以上の岩石があり、海岸線は複雑に入り組んでいます。
名前に「浄土」ってついているのは、室町時代に一休和尚がここを訪れたとき、「極楽浄土のようだ!」って感動したそうで、そのエピソードが由来です。透明度が高くて穏やかな海と、大小さまざまな小島や岩場が織りなす不思議な美しさが、浄土っぽい眺めだと思ったのではないでしょうか。
崖の上から見ても、ダイビングやカヤックで海から見ても、どこから見ても絵になる場所ですが、自分としてはやっぱり石に惹かれる。僕のような石好きには、へばりつく岩石が山ほどあって、ウキウキします。
ー★追記-----
隠岐のガイドは、各自がユニークな専門性を持つプロフェッショナル。
彼らとめぐるツアーは、隠岐諸島が紡いできた数万年の時間を感じられるものです。
<大地の成り立ち>、<独自の生態系>、<人々の営み>をベースにした案内で、島に暮らす人だからこそ伝えられるストーリーが最大の魅力
隠岐のガイドは、はるばるやってくる旅人の皆さんに、島の情念を深めてもらう伝え手です。
圧倒的な地球のダイナミズムも、小さく受け継がれる人々の営みも、見るだけでは分からないことばかり。
ガイドツアーに参加することで目の前の景色が彩られ、島の解像度は上がります。
時間をかけて来る場所だから、心がよろこぶ豊かな旅を
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