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特集

移住者が語る隠岐。西ノ島に一目惚れして20年【碧風館・矢野順子さん】

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西ノ島に一目惚れして移住された矢野純子さんのインタビュー。西ノ島に移住して半年、不惑を過ぎても人生の迷子である私・竹田がお届けします。矢野さんの人生を変えるほどに惚れ込んだ西ノ島の魅力とは?

取材・竹田 英司
元・Vリーグ男子JTサンダーズ広島マネージャー。現・西ノ島町観光協会職員。全国通訳案内士(英語)。2021年6月より西ノ島町在住。

矢野純子さんに初めてお会いしたのは2021年の6月。西ノ島町観光協会職員として入職したばかりの私が、あいさつ回りで碧風館(へきふうかん、西ノ島町立の後醍醐天皇に関する資料館)を訪問した時でした。館内の資料を見ながら後醍醐天皇が如何にしてこの島を脱出されたか、わかりやすく丁寧に説明されるその口調がどこかしら懐かしく、まるで小学校低学年時の恩師に再会したような気分になりました。

それもそのはず、以前は大阪で小学校の教員をされていたという矢野さん。

「コロナ禍でお客様が少ないから」と碧風館から階段を息せき切って登り、後醍醐天皇が住まわれたと伝わる黒木御所・後醍醐天皇を祀る黒木神社も案内してくださいました。その時、矢野さんは「島流しというと寂しい印象がありますが、三位局(さんみのつぼね)というお付きの女性がこの近くに住まわれ、後醍醐天皇を支えていらしたそうです」と教えてくださり、私は「なーんだ、後醍醐天皇は隠岐でひとりぼっちではなかったのか…」と学校では教わらなかった裏話を聞いて興味を持ちました。



矢野さんが管理人をされている碧風館(上)と黒木神社


私は島流しに遭ったわけではありませんが、縁あってひとりぼっちでの隠岐暮らしを始めた移住者のひとり。そこで先輩移住者でもある矢野さんに、暮らす人の立場からみた西ノ島の魅力について伺いました。


西ノ島に一目惚れした赤尾展望所で摩天崖・通天橋を背景にガイドする矢野さん(本人提供)


――矢野さんの西ノ島移住前の経歴を簡単に教えてください。

矢野:前職は大阪で小学校の教員をしていました。以前から子どもが社会人になったら離島で暮らしたいと考えており、50歳で教員を早期退職することにしました。

――どうして西ノ島を選んだのでしょうか?

矢野:壺井栄さんの『二十四の瞳』が好きなので、最初は小豆島にしようか、冷え性だから南の島にしようかと思っていました。インターネットで検索したら西ノ島のシルバーアルカディア事業(シニア世代の移住を積極的に受け入れる西ノ島町役場の施策)が目に留まり、まずは旅行者として訪問しました。それで赤尾展望所から摩天崖と通天橋を眺めた瞬間、西ノ島に恋しました。

矢野さんが西ノ島に恋した赤尾展望所から眺める摩天崖と通天橋の風景 (放牧馬も可愛い)

――恋に落ちたのですね。他にどのような点が魅力的に映りましたか?

矢野:私の夢だった離島暮らしと「自作ログハウスに住みたい」という夫の夢が同時に叶うことが決め手になりました。隠岐は国立公園で公害がないことに加え、自然が豊かで古くからの伝統文化が残る島。民謡と踊りが好きな私にぴったりだと感じました。伊丹空港までの空路があり、何かあったらすぐに大阪に戻れる、ということも大きかったですが、空港は島後(隠岐の島町)にしかないので、そこはあてが外れました。海が荒れると島後に渡れなくなりますから。台風が来ないのも利点だと思いましたが、最近は気候変動の影響か台風の被害を受けるようになり、今年(2021年)の8月は豪雨災害に見舞われました。対馬海流のおかげで夏涼しく、冬暖かいのもありがたいですね。

――緯度の割に冬の気温は高いと思いますが、風が強いので体感気温は寒く感じます。

矢野:島の人々が温かいので、寒い冬も乗り切ることができます。空気がきれいなので、風邪を引かなくなりました。夫は持病の症状が出なくなり、西ノ島のきれいな空気と水のおかげだと思っています。

――西ノ島に移住されてからはどんな暮らしをされていましたか?

矢野:西ノ島大橋が完成した年(2005年)に引っ越しました。今は廃校になった浦郷小学校で2年生を受け持っていました。わずか9人のクラスで、『十八の瞳』でしたね。大阪では「知らない人から話しかけられたら逃げなさい」と教えざるを得ませんでしたが、西ノ島では子どもたちは知らない大人にも積極的にあいさつします。40人の学級ではできなかった手厚い教育ができたと思います。


西ノ島の玄関口である別府港をドローンで撮影。奥は海士町、隠岐島前高校が見える。西ノ島町観光協会ではドローン撮影ツアーを提供している。
≫ニシノシマ・ドローンフライトツアー新しいタブで開きます

――「自作ログハウスに住みたい」という夢、とのことですが、本当に自作されたのですか?

矢野:はい、夫が毎朝”通勤”して2年半かけて建てました。役場の担当者といくつか建設候補地を見させていただきましたが、海の近くは津波が怖く、偶然が重なって移住者向けの土地を購入しました。残念なことは、移住者向けの団地なので、地元の方と生活をともにできないことです。町民プールに通って地元の方と交流することが何よりの楽しみです。

――島での困りごとはありますか?

矢野:やはり医療体制ですね。専門医が不足していて、眼科や耳鼻科等の受診日が限られていることが残念です。物価が高いこともですね、島の人口を考えるとやむを得ないことですが…。でも西ノ島には島前唯一のスーパー「ユアーズ」がありますから、恵まれていると思います。

――矢野さんは西ノ島に溶け込んでいらっしゃるように見えます。何か秘訣はありますか?

矢野:私はいつも、自分を飾らず素のままです。

――今は西ノ島の「ふるさと案内人」として活躍されています。

矢野:10年ほど教員を続けた後、統合新設された西ノ島小学校の図書館司書を今年の春まで務めました。学校の仕事をしつつ、「まちあるきガイド」を月に1回ぐらいしてきました。春から碧風館の管理人を週に2日ぐらい、コロナ禍で回数は少ないものの、バスガイドもさせていただくようになりました。今まで学校という小さな社会しか知らなかった私ですが、少しでも観光客の皆様に西ノ島の魅力をお伝えしたいと、心を込めてガイドさせていただいております。小学校で子どもたちに接してきた時と同じく、おもてなし・一期一会の精神です。

――テレビ東京の『ハーフタイムツアーズ』の収録(2021年9月放送)で、昨夏、渡辺裕之さんを案内されました。渡辺さんの目の前で隠岐の踊りを披露されていましたね。



小皿で拍子を取りながら、隠岐の民謡を披露する矢野さん (C) TV TOKYO Direct,Inc

矢野:大阪での教員時代、全国の民謡や踊りを研究する会に所属して以来、民謡と踊りは私の趣味です。それがまさか隠岐で活きることになるとは、不思議なご縁です。おかげでコロナ禍でずっと会えなかった関東在住の次男家族が、私の生存をテレビ越しに確認できたそうです。

――本当に人生に無駄なことは何ひとつないですね。普段の生活の様子を教えてください。

矢野:自宅の畑で野菜づくりをしたり、健康維持も兼ねてプールに通っています。歌で島を元気にしたいと、友人と介護施設やイベントで歌ったり、小学校で読み聞かせのボランティア活動もしています。週3日、介護施設で見守りスタッフとしても働いています。島はどこも人手不足ですから、必要とされるところで尽力しています。

――西ノ島で最も幸せを感じる瞬間は?

矢野:夜空に輝く満天の星を眺める時です。

赤尾展望所から見上げる満天の星

――西ノ島を旅行したい人に向けて一言お願いします。

矢野:西ノ島は自分を素直な気持ちにさせてくれるところ、小さな心でネガティブな自分をも大自然が優しく包み込んでくれます。

――最後に、西ノ島の穴場スポットを教えてください。

矢野:波止(はし)地区の弁天鼻と呼ばれるあたりです。冬に岩場でワカメや海苔を集めて食べると絶品です。

波止地区ののどかな風景


別府港フェリーターミナルで、旅作家の小林希さん(右)と(本人提供)


矢野さんのインタビューは以上です。コロナ禍に移住したこともあり、私は地域の祭りや直会(なおらい、神事終了後の宴会)に参加する機会もなく、矢野さんとは業務上のことしか話したことがありませんでした。この機会をお借りして矢野さんの半生を聴き取りできたことは、私のみならず隠岐への移住や長期滞在をお考えの方にとっても有意義だと感じます。確かに離島は不便なことも多々あります。しかし、人手が限られる分、「あなたの力が必要だ」と頼られることが本土より多く、生きがい・働きがいを強く感じます。その代表例でもある素敵な矢野さんに直接お話しを聴いてみたいと思った方は、ぜひ西ノ島へお越しください。

※『ハーフタイムツアーズ』の矢野さん出演回は、下記のリンクからご覧になれます。

≫ご当地グルメも堪能!渡辺裕之さんが奇跡の絶景 隠岐の島へ 後編新しいタブで開きます