インタープリターが案内するジオの世界
「大学では発生生物学を専攻し、ウニやヤツメウナギの研究に取り組んでいました。ウニは発生生物学の分野で非常に有名なモデル生物で、無脊椎動物として知られています。私たちのように背骨を持つ生物が誕生する以前の進化のプロセスを明らかにする手がかりとなるんです。一方、ヤツメウナギは脊椎がどのようにして生まれたのかを探る上で重要な原始的生物とされています。この2つを通じて、生命の進化に迫る研究を行っていました。」
そう語るのは、隠岐諸島の海士町を中心にトレッキングやまち歩きのガイドをしている寺田さん。ガイドの中でも、特に専門的な知識を持つ存在だ。大学やこれまでのキャリアの中で培った知識を活かし、ジオパークの知識にとどまらず、科学的な視点を交えた語り口は、聞く者の心を掴んで離さない。
また、ガイド業の傍ら、海士町ジオ魅力化コーディネーターとしても活動しており、「観光業と教育業のかけ橋、つなぎ役になりたい」と語る。「泊まれるジオパーク拠点Entô」(2021年~)では、創業前からジオパーク部門の構想準備・展示設計のまとめ役を担い、隠岐ユネスコ世界ジオパークの3大キーワードの1つである「人の営み」として、「後鳥羽院顕彰事業実行委員会」の事務局として文化事業も推進。その一環で、仲間たちと共に「ごとばんさん芸術文化祭」(2023年~)を立ち上げるなど、新たな文化的価値を創出する挑戦を続けている。
そんな寺田さんが、1ガイドとして提供するのは、「茶道と書道」の体験プランだと言う。大自然に包まれた隠岐という地において、何とも異色の組み合わせに思えるが、そのギャップがまた面白い。
このプランでは、島内の移動手段にE-bikeを活用する。柔らかな風を感じながら自然の中を駆け抜け、景色を満喫しつつ目的地へと向かう。その先で待っているのは、書道と茶道を組み合わせた静かな時間だ。筆を手に取り、墨を紙に落とす瞬間には独特の緊張感が漂う。そして、書道の余韻に浸った後は、抹茶を一服。香り高い抹茶とともに、日常の喧騒から離れたひとときが訪れる。このプランは、日本文化と自然の魅力を同時に味わえる、なんとも贅沢で心和む体験である。
しかしこの日はあいにくの雨模様。E-bikeの移動は叶わず、レインボービーチで「抹茶と書道」の体験プランをお願いすることにした。
「E-bikeでの移動という『動』と、書道と茶道の『静』。その両方を滞在の中で味わえるのが、このプランの魅力です。隠岐の自然と日本文化に触れて、特別な時間を過ごしてもらえたら嬉しいですね」
このプランは、多くのスポットを効率よく巡るという一般的なツアー形式ではない。一つの場所にじっくりと滞在し、その場の空気や景色に深く浸る。そして、静と動のリズムが織りなす中で、隠岐の魅力を余すところなく体感できるプランなのだ。

↑文鎮になりそうな石や流木を拾う
まずは、半紙が簡単に飛ばされないように、文鎮の代わりを探すところから始まる。石や枝で半紙を押さえ、即席の書道スペースを作るのだ。これだけでも、自然と一緒に何かを作り上げているような高揚感が生まれるから不思議だ。
自然の中で筆を握るなんて、ちょっと不思議な気分。筆を手に取ると、ふと学生時代の習字の授業を思い出す。だが、あの頃と違うのは周囲を取り巻く静寂と、自然の息吹だ。スマートフォンやパソコンが主流の今、筆で文字を書くという行為そのものが、もはや非日常の行為となった。久しぶりに筆を走らせると「昔はもっと上手に書けたのに」と戸惑いを覚えることもあるが、それもまた一興だ。

↑寺田さんが事前に用意しているお手本。様々な単語が並ぶ。
“何を書くのか”を考える時間もまた楽しい。寺田さんが用意したお手本を参考に、気に入った言葉を選んだり、ずっと心に留めている座右の銘でも構わない。あるいは、その場の気分を言葉にしてもいい。
「自由に、自分が書きたいものを書いてみましょう」と寺田さんの一言に背中を押され、筆を握る手が次第に進む。
最初は半紙を使って練習を行い、最後に色紙に清書を行う。静かな環境の中で、墨の香りと筆の感触を確かめながら、一画一画を丁寧に書き進める。清書を行うとき、自分の中にある達成感とともに、書き上げた作品の美しさに思わず目を細めてしまう。
書道を存分に楽しんだあとは、寺田さんが点てた抹茶が待っている(ご自身で点ててみたい場合、それもまた一興)。隠岐の自然を背景にいただく抹茶は、肩肘張らず、あくまでカジュアルなものだ。それでも、濃い緑と液面に浮かぶ泡を見ると、どこか背筋が伸びるような感覚になる。
「本格的な格式ばった茶道ではなく、アウトドアでコーヒーを飲むような感覚で、気軽に日本文化に触れてもらえればと思っています」
この体験はインバウンド観光客にも好評だ。「日本らしさ」を求めてやって来る彼らにとって、このプランはまさに答えそのものだ。書道の静寂、抹茶の一服、そして隠岐の大自然。日本文化を煮詰めたような、隠岐ならではの特別な体験なのである。隠岐の銘菓「白浪」が茶菓子として添えられ、実際の海の波(浪)を見ながら頂く時間は格別だ。
寺田さんは東京生まれだが、高校時代から自然科学同好会に所属し、生物、そしてつながりに強い関心を抱いていたそうだ。窓の外に広がるのはビル群、足元にはアスファルト。自然とは程遠い、都会のど真ん中にある渋谷の学校に通いながらも、どこにいても生物、いのちの気配を感じながら、自然に魅了された。当時から、全国の同志が集まるサイエンスキャンプやJAXAのイベントに足を運び、未知の世界を探求していたという。好奇心と行動力を持った学生だった。大切にしている生き方は「センス・オブ・ワンダー(不思議さに目をみはる感性)」。
その後、大学と大学院で進化発生生物学を専攻し、ウニ・ヒトデやヤツメウナギの研究に取り組みながら、研究者を目指していた寺田さん。しかし、ある授業とインターンシップをきっかけに、研究者の道を潔く諦めたと言う。
「大学院で受けた『科学ジャーナリズム』の授業がきっかけで、研究(いわば科学のまなざし)を実社会わかりやすく伝え、科学と社会、私たち一人一人との架け橋になる『科学コミュニケーション』という仕事に興味を持ったんです。そこで、実際に学ぼうと思い、八ヶ岳山麓にある環境教育の老舗団体で1年間のインターンを経験し、自然と向き合う『ネイチャーガイド』の仕事に出会いました」
ネイチャーガイドとは、自然環境や生態系について案内や解説を行う専門家のこと。観光地や保護区で、動植物や地形、自然現象の魅力や重要性を訪問者に伝える役割、そうした場づくりを担う。それはまさに現在、隠岐で活躍する寺田さん自身の姿そのものだ。
「研究を社会に伝えること、そして自然の中で働くこと。この二つが結びついた瞬間、これこそ自分が本当にやりたい仕事だと思いました」と、寺田さんは当時の思いを振り返る。
大学院卒業後はネイチャーガイドの経験をもとに、お台場の日本科学未来館や自然学校、起業支援施設など多岐にわたる分野で経験を重ねた。寺田さんがそこで出会ったのは、「伝える」という仕事の難しさと面白さだったと言う。
「科学館で働いていたとき、展示物はただ説明するための『道具』ではなく、訪れた人々との対話を生み出す『素材』だと考えていました。一つひとつの展示が、見る人の感じたことや問いを引き出し、その場で一緒に考えるきっかけになる。だから、アテンドする際は、すべてを細かく説明して回るのではなく、同じ空間を歩きながら、ふと目が止まったものについて詳しく説明していましたね。」
この哲学は、ネイチャーガイド時代に培った「インタプリテーション」の考え方とも深く通じていると言う。
「ネイチャーガイドは別名『インタープリター』とも呼ばれています。インタープリターとは、自然やその土地の歴史、文化にある物語を訪問者に伝える翻訳者のような存在で、単に表面的な知識や情報を、ただ一方的に説明するのではなく、問いを共有し、実体験を通じて、参加者と一緒に自然や文化を考えていく職業のことです」
この哲学は、「伝える」「つなぐ」という仕事の核となり、現在のガイド活動においても揺るぎない指針となっている。
そして2012年、人生にさらなる転機が訪れる。島根県・海士町との出会いだ。
「インタープリターをしていたご縁で、八ヶ岳にその後も何度も通っており、何かと何かの橋渡し役・つなぎ役をしている人たちが集まる『つなぐ人フォーラム』という場の実行委員をしていました。その際に、迎えたゲストのお一人が海士町から来たという同い歳の人で、海士町・隠岐について関心を抱くようになったんです。その後も、都内で開催された「AMAカフェ」というイベントで海士町の方々と出会い、その自然や文化に強く引き寄せられました。混じり合うことを面白がる土地の気風にも魅力を感じましたね」
やがて、八ヶ岳で出会ったゲストの方とのご縁から、現在の夫と出会い、結婚を機に移住を決意。以降、島での生活を始めてから6年が経ち、この地で新たな物語を紡ぎ続けている。
現在、寺田さんはさらに幅広い層が楽しめる体験を企画中だ。E-bike乗れない高齢者や体力に自信のない人々でも楽しめる商品開発にも取り組みたいと語る。
「美しいレインボービーチや島内の宿泊施設を活用して、誰もがこの島で心地よく過ごせる体験を提供したいです。祖母が日系アメリカ人だったこともあり、英語への苦手意識はないので、インバウンドの旅行者の受け皿にもなっていきたいですね」と未来への展望を語る。
目指すのは、ただ自然や文化を案内することではない。インタープリターとして、訪れる人々と自然、その土地の歴史や風土の間に「対話」を生み出し、そこで感じる何かを共有することだ。これまで積み上げてきた研究者としての知識、科学館での経験、そして海士町での暮らし。それらすべてが寺田さんのガイドには息づいている。
寺田さんはこれからも、訪れる人々の心に小さな問いを投げかけ、好奇心をそっと刺激していくだろう。
My Favoriteー家督(あとど)山、家督林道
私が住んでいるのは港のある「菱浦」地区で、この地区には島の中で最も高い山である「家督山(標高246m)」があります。時々散歩で山を登ると、中腹から見える地区の風景や、向かいの西ノ島まで続く海の景色が広がり、その眺めはまるで血の通った航空写真のようです。この景色を見るたびに、自然とさまざまな人の顔や出来事、そしてたくさんの思い出が心に浮かんできます。普段暮らしている町を、「大自然の中に位置しているまち」として俯瞰できるのも、この場所が好きな理由の一つです。
さらに、「家督林道」からは、西ノ島や知夫里島、そしてその間に広がる「島前カルデラ」の雄大な景色を楽しむことができます。この林道は、格別のドライブコースで、道中では放牧されている牛たちに挨拶するために車を停めることもしばしば。春には木苺を摘みに訪れるのも楽しみの一つです。
他の島々を目にするときに感じる自由な気持ちが心地よく、2歳の息子と一緒にドライブしています。