知夫里島を知り尽くす!?生粋の地元民が案内するツアーガイド
赤壁と聞くと、あまたの争いが繰り広げられた三国志の時代、最も有名な戦いである曹操軍と孫権・劉備連合軍が長江で激突した「赤壁の戦い」を思い浮かべる。しかし、ここ隠岐諸島にある赤壁は、“知夫赤壁”と呼ばれる高さ50~200メートル、距離3キロにも及ぶ断崖絶壁を指す。世界でも珍しい鮮やかな色の、その名の通り“赤い壁”である。
このジオパークにふさわしい絶景を楽しめるのが、隠岐諸島で一番小さい有人島である知夫里島(ちぶりじま)だ。
今回は竹川さんにガイドを担当していただいた。知夫里島出身の竹川さんは高校卒業後、京都で芸術を学び、着物工房で金箔加工や絞り模様といった伝統工芸の仕事に従事。さらに、海外生活への憧れからフランスで語学学校に通う。その後、知夫里島へ戻り、現在は観光協会に従事しながら島のガイドとして活躍している。驚くことに、この小さな島のガイドは2人ともフランスにゆかりのある異色な経歴の持ち主だ。
知夫里島では、360度の大パノラマが楽しめる赤ハゲ山と赤壁が代表的な観光名所だが、取材日は天候に恵まれ、海も穏やかだったため、赤壁遊覧船に乗船することにした。この遊覧船は来居港を出発し、島を約1時間かけて一周するコースで、陸地からは見ることができない赤壁の全体像を、船上から間近に観賞できるのが醍醐味だ。パンフレットには載っていない隠れたスポットや、それらにまつわる興味深いエピソードが船内で紹介されるのも楽しみの一つ。
竹川さんは、船内でマイクを使いながら説明を始める。
「知夫里島には赤壁が有名ですが白い壁もあります。それが粗面岩の壁です。この島のシンボル『赤壁』にあやかってか、『白壁』とも言われています。全体的には白い火山岩ですが、鉄分を多く含んだ幾何学的な模様と、大理石のようなマーブル模様が美しい岩壁です」
ガイドなしでは見過ごしてしまいそうな岩壁も、ガイドの丁寧な解説によって新たな観光コンテンツへと生まれ変わる。さすがはジオパーク。船が進むにつれて右に左に、至る所に貴重な地層や独特の地形が顔をのぞかせる。それぞれの地層には、何万年もの時を経て形成された自然の物語が刻まれており、ガイドの説明によってその背景が頭に浮かぶ。

↑荒波で削られた洞穴に入る観光船の様子
知夫里島へはフェリーや内航船を利用して訪れるのが一般的だが、フェリーとは一味違う体験を味わいたいなら、ぜひ遊覧船に乗ってほしい。遊覧船では、迫力ある岩肌を間近で観ることができ、波に揺れる感覚さえも面白い。
「ここは昔、地滑りがあった場所です。1978年、私が小学校4年生の時のことで、大雨によって川が氾濫し、住宅も流されるほどの災害でした。その大雨の影響で、この一帯が地滑りになったんです」。
移住者のガイドが多い中、竹川さんは知夫里島生まれ、知夫里島育ち。地質などの解説はもちろんだが、大きな特徴は島の日常的な出来事、地域の歴史や行事を織り交ぜた解説にある。竹川さんの語り口からは、島で生まれ育った者だけが知るリアルな生活や、島が歩んできた歴史を垣間見ることができる。
観光船は、メインの赤壁に近づくにつれ、鮮やかな赤い岩壁が目立つようになる。そして赤壁の目前に船が到着すると、一旦エンジンを止め、乗客は外のデッキへと移動し、竹川さんが、この壮大な自然の造形美について丁寧に解説する。
「この赤壁は、約3キロメートルにわたって赤、黄、茶色などの鮮やかな色彩が特徴的です。これは、火山の噴火によってマグマの中の鉄分が酸化し、大部分が赤色に変化した結果です。そして、赤い岩壁に垂直に走る白灰色の筋は、かつてマグマが上昇してきた火道と呼ばれる部分にあたります。その先に火口があり、そこからマグマが噴き出していたんです。つまり、私たちは今、地球の内部で起きた壮大な活動の断面を目にしているということです」
赤壁遊覧船は、日没の時刻に合わせて予約する旅行者も多いと言う。沈む夕陽に照らされた赤壁は、全体が柔らかなオレンジ色に染まり、その姿はまさにドラマチックで息をのむ美しさを見せるそうだ。その情景は、ただ想像するだけでも心を奪われるようである。
残念ながら今回は、その美しい瞬間を直接拝むことは叶わなかったが、竹川さんが以前撮影した写真を見せてくれた。ただし、この幻想的な景色を目にするためには、いくつかの条件が必要だ。海が穏やかで、地平線に雲が少ない日でなければ実現しない。そのため、タイミングが合わずに見られないこともあるが、知夫里島に来たらぜひ挑戦してみてほしい。
竹川さんがUターンしたのは22年前のこと。
「子どもの頃は、『何もない場所』って思っていました。周りは静かで、寂しさを感じることも多く、心の中では『絶対にこの島を出て行ってやる』と決意していましたね。だから、高校を卒業して京都に行けた時は、本当に嬉しかったんです。好きなアーティストのコンサートに行ったり、遊園地で遊んだり、映画を観たり、島ではできないことをたくさん経験しました。でも、しばらくすると、その環境にも慣れてしまうんですよね」
そんな日常に物足りなさを感じていた竹川さんは、以前から憧れていたフランス・パリへと旅立つ。アートや語学習得という新たな挑戦に胸を躍らせ、異国の地での生活は多くの刺激と経験をもたらした。しかし、母親の死をきっかけに故郷へ戻ることを決断。久しぶりに帰った故郷の島は、かつて「何もない」と感じていた場所のはず。しかし、まるで長い旅を終えた船が静かに港に戻るような、不思議な安堵感があったと言う。それは、都会での日々を経て、初めて故郷の価値を理解した瞬間でもあった。
これまで「寂しさ」と思っていたものは、実は「静けさ」という贅沢だったのだろうか。そんな思いを胸に、母親の民宿を数年経営した後、観光協会に勤務し、観光ガイドとしての道を歩み始める。
「この島には観光ガイドがほとんどいなかったので、誰かがやらなければ島の魅力が伝わらないと思いガイドになりました。当時は一人で務めていて、フランス語や英語で海外のお客様に対応することもありましたね。いま振り返ると、我ながら本当によくやっていたなと思います。」
現在では、フランス出身のダヴィッドさんが加わり、海外からの観光客への対応は彼に任せている。
「ダヴィッドがいるおかげで、今は分担して効率よく案内ができています」と、竹川さんは微笑む。
「ガイドとしてお客様を案内するときは、島の名所を巡るだけではありません。地元に伝わる伝説や、私自身の体験談も交えながらお話しています。たとえば、かつて漁師さんがどのように魚を獲っていたのか、今の島が抱える課題、古くから伝わる昔話や、地域で大切にされている文化など。そうした背景を知ることで、訪れた人たちに島をより深く感じてもらえたらと思っています。また、ジオパークとしてもまだまだ広く深い魅力があるので、今後はもっと話のネタを増やしていきたいですね。」
竹川さんは、ジオパークについての知識を深めるだけでなく、お客様が何を求めているのか、観光コンテンツとして何が最も心を惹きつけるのかを模索しながら、独自のスタイルを築き上げてきた。知夫里島のガイドという役割は、ほとんどゼロの状態から始まったもので、その背景には多くの試行錯誤と苦労が存在する。
そんな竹川さんは、自らのガイド活動に満足することなく、次世代のガイドを育てることも必要だと考えている。
「ガイドの人数が少ないので、もっと多くの人が観光ガイドとして活躍できるようにサポートしていきたいと思っています。今年もジオパークに関する講座を開講していて、新たに2〜3人のガイドが誕生する予定です。島の魅力や大切な知識をしっかり次の世代に引き継いでいけたらいいなと考えています」
こうした取り組みの背景には、観光業の担い手不足という現実的な課題がある。最近では、赤壁を中心とした観光ガイドだけでなく、SUP(スタンドアップパドルボード)体験やシーカヤックツアーといったマリンスポーツも人気を集めており、レジャーガイドの数が不足しているそうだ。
「観光名所の案内にとどまらず、体験型アクティビティを楽しみに来られるお客様が増えています。その期待に応えるためにも、レジャーガイドの育成は急務です」と竹川さんは指摘する。
観光協会のスタッフとして、また観光ガイドとして、二つの役割を担う竹川さん。彼女の視線の先には、この島の未来がある。
My Favoriteー神島(かんじま)を望む、誰もが見惚れる夕暮れの海
県道知夫島線322号線を東へ進み (しじゅうまがりとうげ)を越え、さらに薄毛地区方面に100~200mほど下った道路沿いに、ひっそりと佇む名もなき場所があります。ここから望む景色は、すごく開放感があって、何度訪れても心を奪われる美しさです。
特に秋の夕暮れ時の景色が素敵で、夕陽が沈んだ直後の水平線が朱色に染まり、その色が空に向かって少しづつ深い夜空の色に変化していく様子が大好きです。私にとっては宇宙を感じるひと時で、なんとも言えない情緒があります。