【隠岐の島町】隠岐国一宮の「水若酢神社(みずわかすじんじゃ)」
延喜式に名神大社と記された、隠岐國の一宮である「水若酢神社」。
祀られている水若酢命(ミズワカスノミコト)は、隠岐の国土開発と日本海鎮護をされた神様だと伝えられています。
創建の由緒は未詳ですが、社伝によると人徳天皇の時代(4世紀〜5世紀)に創建されたと言われています。
本殿は隠岐造りと呼ばれる建築様式で、国の重要文化財に指定されています。
隔年の5月3日に開催される例大祭は島後の三大祭りとしても知られており、日本古来の山車が曳かれ、流鏑馬(やぶさめ)などの神事が行われます。
参道脇には映画「渾身」の舞台ともなった土俵が設けられており、20年に1度の本殿屋根の葺き替え時には夜を徹した「隠岐古典相撲」が行われます。相撲は2番勝負で行われ、1本目に勝った方は2本目に勝ちを譲り1勝1敗にすることが特徴です。
両力士が勝敗のしこりを残さず互いに讃え合う隠岐古典相撲は、島の人々の人情を評して「人情相撲」とも呼ばれています。
水若酢神社にある亀の手水
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水若酢神社
島根県隠岐郡隠岐の島町郡723
TEL:08512-5-2123
【隠岐の島町】貴重な神楽が受け継がれる「伊勢命神社(いせみことじんじゃ)」
西日本最大級の黒曜石の産地である隠岐の島町の久見(くみ)集落にたたずむ「伊勢命神社」。
続日本後記(869年)に「仁明天皇嘉祥元年(※848年)、明神の列に預かりし趣名記せられ延喜の制に於いては名神大に列せられた」とあり、六国史に名神大社列格の理由を明示する数少ない例となっています。
毎年7月に開催される例祭は、弓矢を持ち鎧兜を身に着けた武者が先導する隠岐でも珍しい形で行われます。例祭に合わせて境内の神楽殿で催される「久見神楽」は夜を徹して行われ、畳二枚ほどの広さで舞う古い形を残しています。
伊勢命神社の本殿
伊勢命神社の建築様式は水若酢神社と同じく「隠岐造」と呼ばれ、
①屋根が出雲大社の「大社造」
②庇の部分が春日大社の「春日造」
③全体的な柱の立て方が伊勢神宮の「神明造」
という3つの建築様式をあわせた、隠岐ならではの様式になっています。
伊勢命神社
島根県隠岐郡隠岐の島町久見375
【海士町】島の守護神が祀られる宇受賀命神社(うづかみことじんじゃ)
海士町にある名神大社の「宇受賀命神社」。
創建は842年より古く、祀られている宇受賀命(ウヅカノミコト)は、この地の守護神として伝えられています。
古来より朝廷の崇敬があつく、時の有力者より社領や神田など、たくさんの寄進がありました。
伝説には、西ノ島町の「比奈麻治比賣命(ヒナマチヒメノミコト)」の美しさにひかれた宇受賀命が、同じく姫に求婚する大山神社の神さまとの力比べに勝利したことにより、姫と結ばれたと伝えられています。
姫との間に柳井姫(ヤナイヒメ)が生まれ、「奈伎良比賣神社(なぎらひめじんじゃ)」の御祭神になったとされています。
この御子神をお産みになったのは明屋海岸(あきやかいがん)という絶景スポットで、明屋海岸から宇受賀命神社にいたる海岸線の道は、日本海唯一の神々の婚姻に由来して「縁結び、子宝、夫婦円満」のご利益がある道とされています。
御朱印は宇受賀命神社から車で10分ほどの隠岐神社へ
宇受賀命神社の御朱印は、後鳥羽上皇を祀っている「隠岐神社」で手に入れることができます。
承久の乱に敗れた後鳥羽上皇は、亡くなるまで19年間を隠岐で過ごしました。隠岐諸島には歴史上の人物とつながりの深いスポットも多く見られます。
宇受賀命神社
島根県隠岐郡海士町宇受賀747
TEL:08514-2-0464
【西ノ島町】イカ寄せとしても知られる「由良比女神社(ゆらひめじんじゃ)」
西ノ島町にある「由良比女神社」も名神大社のひとつであり、平安末期には隠岐国一宮にも定められ、由緒も古く社格も高い神社です。
由良比女神社の創建は古く、仁明天皇の時代(842年)官社に預かったと記されています。
伝説によれば、この社の元は知夫里島の鳥賊浜にありましたが、西ノ島の由良へ移されてからは鳥賊浜にイカの群れが来なくなり、代わりに由良へイカが集まったと言われています。
また、由良比女命が芋桶に乗って出雲大社から隠岐へ帰るときに、海に浸した手にイカが嚙みついてしまったことから、お詫びのしるしに由良の浜にはイカの群れが押し寄せるようになったと伝えられています。
境内の灯篭や拝殿にはイカの彫刻が刻まれ、西ノ島町の建物の壁やマンホール、ゆるキャラにもイカが登場します。神社にまつわるユニークな伝説にもご注目ください。
神社の目の前にある「イカ寄せの浜」
由良比女神社例大祭
由良比女神社
島根県隠岐郡西ノ島町浦郷922
TEL:08514-6-0950