若きガイドが魅せる、隠岐諸島随一の絶景
隠岐諸島を代表する景勝地「摩天崖」。この壮大な景観は、パンフレットやプロモーション動画で頻繁に取り上げられ、隠岐の魅力を語る上で欠かせない象徴的な存在だ。まるで異国の地を彷彿とさせる壮麗で力強い景色は、訪れる人々に忘れられない感動を与える。
そんな摩天崖を望める西ノ島で、若きガイドとして活躍しているのが野田遼毅さんだ。野田さんは、ただ景色を案内するだけではなく、その背後にある歴史や物語を織り交ぜながら、訪れる人々に島の魅力を感じてもらうための工夫を欠かさない。地層や歴史に詳しくない人にも分かりやすいように、模型や写真を活用した丁寧な説明を心がけており、その柔らかな語り口と親しみやすい人柄が、多くの観光客から好評を得ている。
豊富な経験を感じさせるその知識とエネルギーは、島の歴史と自然を今に伝える力強い架け橋となっている。
野田さんは、この島に魅了され2年前に移住した。埼玉出身で、都内のIT業界での経験を経て、西ノ島に移住し、現在は総務省の移住促進プログラム「地域おこし協力隊」として西ノ島町観光協会に従事。観光業を中心に、地域活性化に貢献している。
この日のガイドは、西ノ島でも人気の観光名所である「由良比女神社」から始まった。由良比女神社は、隠岐四大社のひとつで、平安時代に隠岐国一宮に定められた古社である。この由緒ある神社には、西ノ島町の特産物にもなっているイカに関する言い伝えがあるという。
「遥か昔、由良比女命が芋桶に乗り、海を渡っていた際、海に浸したその手をイカが引っ張ったので、その非礼を詫びるため、由良比女神社の目の前に広がる浅い入江には、毎年イカが群れを成して押し寄せるようになったと伝えられています」
実際に、明治・大正から昭和20年代にかけて毎年のようにスルメイカの大群が押し寄せ、浜辺に30件ほどのイカの番小屋が建ち並んでいたそうだ。現在では、スルメイカの大群の姿を見ることはできないが、毎年に1メートルにもなる大きなソデイカが、時より湾内で漁獲されることがある。
野田さんのガイドスタイルの特徴は、難しい内容をわかりやすく伝える工夫にある。ただ単に言葉で伝えるのではなく、紙芝居や写真を通じて視覚的に説明する。昔の人々がどのようにこの伝説を語り継いできたのか、そしてそれが地域の文化としてどれほど大切にされているのかを視覚的に解説することで、観光をより豊かな体験として提供しているのだ。

↑神社の目の広がる通称「イカ寄せの浜」で漁獲されたソデイカの様子

↑拝殿の欄間にはイカの彫刻がある
次に案内してもらうのがお待ちかね、隠岐を代表する景勝地「摩天崖」だ。摩天崖は、日本海の荒波による侵食で形成された高さ257メートルの垂直断崖で、日本有数の高さを誇る。
「摩天崖の頂上一帯は牧草地になっていて、牛や馬がのびのびと放牧されています。僕はこの景色が大好きで、プライベートでもよく訪れます。摩天崖は、ただの観光スポットではありません。この景色の背後には、何百万年もの歳月をかけて形成された大地の歴史があります。摩天崖がどのようにして形成されたのか、そしてその独特な地層やカルデラの存在について、詳しく説明しています」
野田さんにとって、ガイドを始めた理由の一つでもあるお気に入りの場所。ここでは模型と写真を使って詳しく解説する。その語り口からは、この景観への深い愛情と探究心が伝わってくる。

↑トレッキングコースから見える摩天崖の全容
野田さん曰く、摩天崖の山頂から見える景色も素晴らしいが、トレッキングコースが一番オススメとのこと。摩天崖の山頂には遊歩道が整備されており、摩天崖の全容を真横から見渡せる。岩肌に年輪のように刻まれた赤と黒の縞模様が、この土地の形成の歴史を静かに物語っている。
隠岐を代表する景勝地には、自然の雄大さだけでなく、文化的な要素や歴史の記憶も深く刻まれているという。その一つが「山本幡男顕彰碑」だ。
「2022年に公開された“ラーゲリより愛を込めて”という映画をご覧になりましたか。主演の二宮和也が演じた山本幡男は、シベリアの強制収容所(ラーゲリ)に抑留された実在の日本人捕虜です。この映画を通じて、山本幡男の存在やシベリア抑留の歴史を初めて知った方も多いのではないでしょうか。実は、彼はここ西ノ島の出身なんです」
※山本幡男顕彰碑の写真
さらに摩天崖には、旧日本軍が使用していた監視所跡も残されている。摩天崖の地形は見晴らしが良く、敵船の動きを監視するには絶好の場所であるからだ。悠久の大自然を感じる小さな離島にでさえ、先の大戦の痕跡が残されている。現在こうして自然の美しさを純粋に味わえる日常が、どれほど尊く、感謝すべきものなのかを実感させられる。
野田さんは、大学時代から観光に興味があったそうで、京都の大学ではゼミで観光を学んだ。
「京都には日本人観光客やインバウンドが溢れていて、バス停はいつも行列。日常生活に支障が出るほどでした。もともと出身が埼玉ということもあり、“観光客”という存在があまり身近ではなかったんですが、世界的に有名な観光地に住んでみて初めて実感しました」
この日常体験がきっかけで、ゼミではオーバーツーリズムや、富裕層向けの観光地の高付加価値化について研究したそうだ。その後、都内のIT企業に就職し、システムエンジニアとして従事。
「京都で経験したオーバーツーリズムによる交通の不便さを解消したいという思いから、将来的には観光系のMaaS(Mobility as a Service)に携わりたいと考えました。そのための第一歩として、IT分野での知識とスキルを身につけるべく、エンジニアの会社に就職しました」
しかし、野田さんは仕事をしていく中で、少しずつ違和感を覚えたという。
「ひたすらパソコンに向き合う生活は、どこか自分らしくないと感じました。しかもテレワークだったため、会社の人と関わる機会もほとんどなく、プログラミングはまるで孤独な戦いのようでしたね。もっと人と関わりを持てる仕事がしたいと思うようになったんです」
そんな中で、転機となったのが偶然目にしたテレビ番組だ。その番組では、隠岐の豊かな自然や移住制度が取り上げられており、その魅力に強く惹かれた野田さんは、思い切って移住を決意。大学時代に観光だけでなく地方創生やまちづくりについても学んでいたことから、移住後はこれまでの知識を活かそうと、観光協会で働き始めた。
「観光協会で働く上で、まずは西ノ島の観光について学ぶ必要がありました。そこで、経験豊富なガイドさん達のツアーに同行させてもらったんですが、それが本当に面白くて。島の歴史や自然について学べば学ぶほど興味が深まっていき、気づけば自分自身がツアーガイドをする立場になっていましたね」と野田さんは当時を振り返る。
現在では、サイクリング、バスガイド、トレッキング、まち歩きなど、ガイドとして幅広く活躍している。
「この島では、車でほんの数分走るだけで、息を呑むような大自然の絶景が広がります。特に夕日を眺めるのが好きで、仕事を終えた後にふらっと車を出して、一人で夕日の見える場所へ向かうことがよくあります。ぼんやりとその風景を眺めたり、写真を撮ったりするのがささやかな楽しみなんです。その日の空や光の加減で景色の表情は毎回違っていて、何度訪れても飽きることはないですね」
「ただ、観光客のように一度きりの訪問では、その日、その瞬間の美しさしか見ることができません。島で暮らしているからこそ、時間の移ろいの中で自然が見せる多彩な表情を堪能することができます。これは、都会では決して味わえない豊かさだと思います」
西ノ島が魅せる多彩な表情をもっと観光客にも味わってもらいたい。野田さんは、これからの目標として、島の自然をもっと活かしたツアーを提供したいと考えている。
「たとえば、夕日を眺めながら行うサンセットトレッキングや、星空の観察イベントをやってみたいです。同じ観光名所でも、訪れる時間帯が変わるだけで、まったく違った世界が広がります。それがこの島の魅力でもあり、訪れる人々にとっての新しい体験になるはずです」
美しい日常を、毎日変わる表情をいかに伝えていくか。それが今後の課題でもあり、若いガイドとしての挑戦でもある。島の時間と自然の変化を感じる贅沢なひととき。野田さんのツアーで、西ノ島が持つ魅力の深さに触れ、新たな発見と感動を味わってほしい。
My Favoriteー摩天崖や通天橋を一望できる、摩天崖遊歩道の中間地点
摩天崖遊歩道は、摩天崖から国賀浜へと続く約2.3km、高低差250mの遊歩道です。放牧地帯ののどかな風景の中に広がるこの道は、読売新聞の遊歩百選にも選ばれています。歩みを進めるたびに、島の風が頬をなで、鳥の声が耳に響き、ゆっくりと自然観察を楽しめる人気のスポットです。
一番好きなのは、摩天崖の頂上から少し歩いた中間地点。目の前に摩天崖や国賀浜の奇岩群が広がり、頂上からでは見られない摩天崖の岩肌の表情を観察できます。ガイドとして解説を交えながら案内するのにぴったりのポイントでもあり、学びと感動が同時に得られる場所です。遊歩道全体が放牧地になっているので、草を食べる馬や牛の親子が間近で見られるのも、この遊歩道の魅力ですね。
さらに進むと、巨大な岩のアーチ「通天橋」が姿を現し、次の絶景への期待感も高まります。訪れるたびに新しい発見があり、何度でも歩きたくなる魅力ある場所です。