小さな気づきが世界を広げる。新しい視点で隠岐を体験しよう!
隠岐諸島の中で最も大きな島、隠岐の島町。その広さは他の3つの島々を遥かに凌ぎ、人口も1万人を超える。
隠岐の島町といえば、まず思い浮かぶのは青く広がる海の風景だろうか。透明度の高い海や美味しい魚介類、豊富なマリンアクティビティは観光客の心を奪う。しかし、この島は海だけではない。
島の中心部に足を向ければ、訪れる者を圧倒するような豊かな山と森がある。島の中をドライブすると、他の島々との違いにすぐ気づくだろう。雄々しい山々と、それを覆い尽くす深い森林の緑。自分が離島にいることを忘れさせてしまうほど、壮大な自然がそこにはある。
中でも目を引くのは、隠岐最高峰である大満寺山の北側斜面に位置し、樹齢約800年とされる「乳房杉(ちちすぎ)」だ。この巨木は、その名が示す通り乳房のようにみえる気根が不思議な存在感を放っている。

↑樹高40m、幹回り11mあり、幹の途中から15に枝分かれしている。
隠岐の島町には、そんな大自然を満喫できるトレッキングコースが充実しており、初心者から経験者まで幅広く楽しめるそうだ。今回は、トレッキングを体験するため、フリーランスで活躍する守本さんにガイドをお願いした。守本さんはシーカヤックなどのマリンスポーツのガイド業に加えて、海女としても活動しており、アワビやサザエを採る仕事もこなしていると言う。隠岐の海と山のどちらも知り尽くしたガイドなのだ。
複数あるトレッキングコースの中から、今回は「鷲ヶ峰トレッキングコース」を選んだ。このコースの見どころは自然回帰の森と呼ばれるスギの天然林で、ここでしか出会えない「隠岐の天然杉」を目にすることができる。また、トカゲ岩や屏風岩などの奇岩や、ユニークな植生が見られるのが特徴だ。
守本さんの先導のもと、登山道入り口から天然林に足を踏み入れる。木漏れ日が木々の間から降り注ぎ、空気はひんやりとしていて、思わず深呼吸したくなるような清々しさが広がっていた。しばらく歩くと、どこからか渓流のせせらぎが聞こえる。すると、「今日はいるかなー」と、守本さんが足を止めて渓流の水面を覗き込んだ。
「この辺りはオキサンショウウオの幼生を観察できるんです。このサンショウウオは、隠岐の島町でしか生息が確認されていない固有種なんですよ。山地の渓流部で繁殖して、成体になると周辺の陸域に移動します。でも、ちょっと今日はいないみたいですね」
登山道を進むごとに、目に留まる植物や生物についての解説が始まる。特筆すべきは、その説明の幅広さだ。その植物がどのように隠岐の暮らしや文化と結びついているのか、時には薬草として、時には年中行事の一部として、人々の営みに寄り添ってきた物語を紡いでくれる。
ふと、なぜこれほど詳しいのかを尋ねてみた。
「ジオパークの講座で得た知識もありますけど、それだけじゃないんです。実際にこの土地で暮らしている先輩たちから教わったことがほとんどなんですよ。昔から伝わる話や自然の恵み、暮らしに溶け込む知恵ってすごく興味深くて、学びが尽きないんです」
守本さんが伝える話の一つひとつが、地元の人々の生活や歴史としっかりと結びついてることに気づかされる。そして、その知識の深さと話しぶりに、自然への興味がどんどん膨らんでいく。
登山道を進む中で、木々の隙間から突如として奇岩がその姿を現した。初めはただの岩場かと思いきや、その独特な形状が目に入る。よく見ると、それはまるで崖を垂直に登るトカゲのような姿をしている。この岩は「トカゲ岩」と呼ばれ、隠岐でも特に印象的な奇岩のひとつ。遠くからは分かりにくいが、なんとその全長はおよそ26メートルもあると言う。
隠岐の代表的な景観として、日本海の荒波による海岸侵食地形の名所は数多くあるが、このトカゲ岩は陸上での侵食によって形成されたものだそうだ。陸上では波のかわりに、風や雨、川の流れといった自然の作用が長い年月をかけて岩を削り、崩壊を繰り返すことで、このような独特な形状を生み出している。
標高がそれほど高いわけではないが、傾斜は思いのほか急で、足にじわじわと負荷がかかる。
少し疲れを感じながらも歩みを進めていると、ふと変化に気づく。周囲を囲む木々の様子が変わり、いつの間にかスギの巨木が目立つようになってきたのだ。幹は太く、その年輪の重みを感じさせるように堂々と立っている。
「日本各地で見られるスギの多くは植林されたものですが、ここは数少ないスギの天然林が残る貴重な場所です。天然スギは太平洋側に分布する『オモテスギ』、日本海側に分布する『ウラスギ』と呼ばれる2つの系統に分かれます。DNA分析により隠岐の天然林のスギや乳房杉はウラスギ系統であることが確認されています。約2万年前の最終氷期に寒さにより本州で生育地が減少したスギが生き延びた逃避地が隠岐だったんです。この天然林のスギは、現在でも遺伝的多様性が高く、ここでしか見られない遺伝子を持った貴重なスギなんです」
この一帯には、なんと樹齢200~400年の天然スギが800本もあり、他にもクロベ、モミ、サワグルミ、カツラといった大木も見ることができる。
守本さんは、このようなトレッキングガイドだけでなく、カヤックツアーのガイドとしても活躍している。それも納得の経歴だ。東京生まれの守本さんは、大学卒業後にマスコミ業界へ進むも、「海が好き、海と関わる仕事がしたい」という思いが抑えきれず、オーストラリアへと渡った。
そこで待っていたのは、海をフィールドとしたエコツーリズムの世界。野生のジンベエザメと一緒に泳ぐという希少なインストラクターの仕事に携わり、データ収集や生態調査も並行して行った。その4年間で、海の世界に暮らす生き物たちの存在やつながりを知り、彼らが回遊しながら生きる姿を通して、「自然」が持つ途方もないスケール感を肌で感じた。そして、その魅力を伝えることに楽しさと面白さを見出したと言う。帰国後は、日本でも自然と関わる道を求め、和歌山でカヤックガイドとして従事。その後、隠岐の魅力に惹かれ、7年前に移住を決意した。
まさに海と共に歩んできた人生。その豊富な知識と経験は、トレッキングだけでなく、海のガイドで本領を発揮しそうだ。
「最初は海に惹かれて隠岐に来た私ですが、いつの間にか山にも魅力を感じるようになりました。もともと山は怖くて苦手だったんです。でも、山を知る先輩方との出会いが、その見方を変えてくれました」と当時を振り返る。
「一緒に先輩方と山に入った時、同じ景色を見ているはずなのに、先輩方の目に映る世界は全く違うことに気づきました。当時の私にとって、木はただの木、石はただの石でした。でも、彼らはもっと多角的な視点で物事を見ていたんです。石や木がそこに『ある』までの歴史という目だったり、一緒に暮らす昆虫の目だったり、自然の摂理だったり。複眼で捉える世界は、多面的で奥行きがあり、彩り豊かで、とても立体的に映るんです。そして、それらが全て繋がり合っている様子が見えているようでした」
「こんなふうに世界を見ることができたら」と思ったとき、同じような目でこの世界を覗いてみたくなったと言う。
「その出来事がきっかけで、すごく勉強しましたね。植物そのものや生き物について、土地の歴史、地質、基礎的な知識を身につけたり、実際に春夏秋冬山に何度も足を運んで自分の目で確かめました。いろんなことを想像しながら、なんでだろう?を一つずつ解き明かしていくような感覚です。まだ先輩方と同じものを見ているとは思いませんが、隠岐1年目から比べると見える景色は変わってきましたね」
ユネスコ世界ジオパークに認定されている隠岐では、目の前に広がるダイナミックで圧倒的な自然美を味わえるだけでなく、ほんの少し視点を増やすことで、見えていなかった背景が浮かび上がり、それらを想像することでより楽しむことができる。
「新たな視点がもたらす発見のお手伝いをしたいんです。少し見方を変えて、お客様には見える風景のその先にある物語、つながりを感じてほしいですね」
目指しているのは、隠岐を通じて、連綿と受け継がれる美しい文化や営み、そして自然があることを多くの人に知ってもらうこと。国内はもちろんだが、オーストラリアでの経験を活かして、海外の方にも隠岐の文化や自然の深い魅力を感じてもらいたいと考えている。ただし、それはオーバーツーリズムのような過度な観光化とは異なる。目指すのは、隠岐のファンを増やすことだ。
「一度来た方が『次はあそこに行ってみたい』と言って何度も訪れてくれるのはありがたいですね。隠岐に来てよかった、隠岐好きです、と言ってもらえるとめちゃくちゃ嬉しいです」
守本さんの案内を通じて、これまでとは違う視点で隠岐を見てほしい。目に映る風景は同じでも、その解釈が変わるだけで、世界はさらに奥深く、彩り豊かに立ち現れるだろう。そこには新たな驚きと感動があり、訪れる人々の心を深く魅了するはずだ。
My Favoriteー布施の港
―布施の港
日常に溶け込む美しい風景が島のあちこちに広がり、どこを切り取っても素晴らしい風景ばかりですが、一つ挙げるとすれば、布施の港に戻ってきたときに広がる景色です。
私は布施という集落に暮らしており、漁やカヤックツアーから戻るたびに目にする布施の山々が迎えてくれる港は、外海から戻った安堵感とともに、「ただいま」と心の中でつぶやきながらホッとする風景ですね。日常の中に、海があり山があることに感謝しています。